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STORY

史実におけるテンプル騎士団

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騎士団の最盛期から解散まで

12~13世紀のヨーロッパではキリスト教のため、ひいては聖地維持のために貢献するのが美徳とされたため、テンプル騎士団はフランスをはじめとする多くの王侯貴族から寄進を得ることができた。同時に騎士団の権力も増していき、1139年にはローマ教皇により「国境通過の自由」「課税の禁止」「教皇以外の君主や司教への服従義務の免除」などの特権を与えられた。また、第2次十字軍の際にフランス国王ルイ7世を助けて戦ったため、パリ郊外に広大な敷地が与えられている。ここにはテンプル騎士団にとって最初のヨーロッパ支部が建設され、教皇や外国人君主がフランスを訪れた際の宿舎として利用された。

騎士団の解散

このようにテンプル騎士団が多くの特権を得られたのも、イスラム勢との戦いにおける功績があったからだ。しかし1187年、イスラムの英雄サラディンがエルサレムを占領。テンプル騎士団の総長がイスラム勢の捕虜になるという事態を招く。「投降よりは死を選ぶ」を規範にする騎士団の高潔さを支持していた人々は、この事件で騎士団に失望した。騎士団自身も名誉挽回に力を注ぐことなく(財を肥やすことには逆に熱心になった)、第3次十字軍の終結を境に軍事活動を縮小してしまう。
こうした流れのなか、フランス国王がテンプル騎士団の資産の没収を狙って、騎士団に異端者の濡れ衣を着せ教皇に告発した。テンプル騎士団は無実を訴えたが聞き入れられず、1312年に解散する運びとなった。