病弱だったコジモの息子ピエロ(1416-1469年)の跡を継いで、1469年にメディチ家の当主となったのが、当時20歳のロレンツォ(1449-1492年)である。ロレンツォは優れた社交術と政治手腕で祖父の代から続く独裁体制を整え、気前よく振る舞って市民の支持を得た。だが、そんなメディチ家の専横に不満を抱く者もいた。1478年、メディチ家の商売敵であるフランチェスコ・デ・パッツィらに襲撃されたロレンツォは、弟のジュリアーノ(1453-1478年)を殺され、自らも負傷する。
このとき、主犯のフランチェスコらは共和制の復活と自由を呼びかけてメディチ家の失脚を狙ったが、逆に激怒した市民たちに捕縛され、シニョーリア宮の塔に吊るされた。
なお、パッツィ家の陰謀事件のあらましは、ゲーム中にも描かれている。
この事件の顛末がもとでフィレンツェは危機に陥ることになった。パッツィ家の縁者100名余りが処刑された事態に、事件に加担していたといわれている教皇シクストゥス4世が激怒し、フィレンツェを破門。ナポリ王国と同盟を結んでフィレンツェ共和国に宣戦布告したのである(パッツィ戦争)。
このとき、ロレンツォは自らナポリ王国に赴き、ナポリ王フェルディナンド1世との和平交渉を成功させると、ローマに大使を派遣して教皇に謝罪し破門を解いた。こうして約2年間続いた戦争は終結する。