Back to Top

第二章 ヴィクトリア朝

ヴィクトリア女王の統治した1837年から1901年までの期間は、産業の発達によりイギリスが「世界の工場」「大英帝国」「太陽の沈まぬ国」と言われるほど繁栄した時代である。
ヴィクトリア朝と呼ばれるこの時代に、イギリスは文化面でも大きく発展し、さまざまな芸術品や文学などが生み出された。また、1851年に開催された「第一回ロンドン万国博覧会」は、多くの芸術品や工業品が出品され、ヴィクトリア朝の発展を世界に知らしめる一大イベントとなった。
政治の分野では、保守党と自由党が交互に政権を担当する二大政党制が確立された。保守党が政権を担ったときは帝国主義政策を進めて植民地を拡大し、自由党が政権を担ったときは内政に力を入れ国内の改革を進めた。二大政党が交互に政権を担い、役割を分担することで、結果として政治の腐敗や停滞を防いでいたのである。

ヴィクトリア女王

イギリスの黄金時代に君臨した女王、ヴィクトリアは、黒人奴隷や植民地の子供の後見人をしたり、結婚式で白いウェディングドレスを着る伝統の始まりになったりと、さまざまな逸話を残した人物である。
1819年、ヴィクトリア女王はケント公爵エドワードの娘として産まれる。王位継承権第5位だったが、ジョージ3世や伯父たちに嫡子が産まれなかったため、ウィリアム4世の即位後、暫定王位継承者として教育を施された。1837年、18歳で即位し、1840年にアルバートと結婚。子供が産まれると、アルバートと共同で統治をしていく。1877年にはインド皇帝に即位し、広大な植民地と本国を併せた「大英帝国」に君臨、繁栄の時代を謳歌した。「君臨すれども統治せず」を体現し、政治に深く関わらない、それまでとは違う新しい王室と政治のあり方を示したのである。

ヴィクトリア朝の文化

ヴィクトリア朝の発展は、芸術や文学などの分野にも及んだ。ヴィクトリア女王は芸術家たちを後援しており、一流の芸術家たちは上流社会で貴族たちと交わるほどに地位を上げたのである。

芸術

芸術の分野では、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイにより、ラファエル前派が生まれる。のちにウィリアム・マイケル・ロセッティ、ジェームズ・コリンソン、フレデリック・ジョージ・スティーヴンス、トーマス・ウールナーらも加わり、芸術運動を起こした。当時の作品としては、「プロセルピナ」「良心の目覚め」「オフィーリア」などがよく知られている。

文学

市民の生活が舞台となる作品が多く生み出され、小説が広く普及していった。その代表がチャールズ・ディケンズで「オリヴァー・ツイスト」などの作品を世に出し、国民的作家として支持を得た。
また、児童文学や推理小説が人気を博し、ルイス・ キャロル(「不思議の国のアリス」ほか)やコナン・ドイル(「シャーロック・ ホームズ」シリーズ)など、現代でも有名な作家たちが、多くの作品を生み出したのである。

建築

産業革命によって資材の大量生産・大量輸送が可能になったヴィクトリア朝では、都市部の市街化が急速に進んでいった。また、建築様式は豪華絢爛なバロック調やロココ調から、ゴシック様式を復興した「ヴィクトリアン・ゴシック」が主流となった。当時の建築物としては、「クリスタル・パレス」「セント・パンクラス駅」「イギリス国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)」などが有名である。

ロンドン第一回万国博覧会

1851年に世界で最初に開催された万国博覧会。141日間開催され、一日の平均入場者数は約4万3,000人、閉会までに約604万人の人間が来場する大成功を収めた。イギリスの技術力を結集した最新の蒸気機関や、蒸気機関を利用した農業機械などが展示され、多くの来場者を集めた。
これほどの盛況を博した一因として、進歩した印刷技術による宣伝の効果や、鉄道・蒸気船の定期便ができ、会場までの移動が楽になっていたことがあげられる。また、来場日によって異なる入場料を設定することで、所得の低い労働階級の人々も来場できるシステムになっていたことも、参加者の間口を広げていたと思われる。

ページの先頭へ