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第一章 産業革命

産業革命とは、技術の革新による工業と社会の変化のことである。18世紀から19世紀にかけてヨーロッパ各国で起き、産業と社会が大きく変化したことから近代の幕開けとされている。

イギリスの産業革命

世界初の産業革命はイギリスで興った。17世紀と18世紀の間に起きた革命と戦争により、イギリスは社会制度を整え、労働力・資源・市場を獲得した。その結果、どの国よりも早く産業革命を起こすことができたのである。
一般的にイギリスの産業革命は、1764年、ハーグリーヴズがジェニー紡績機を発明したころから、蒸気機関車の鉄道が各地に開通し始めた1830年代までとされている。その間にさまざまな機械が発明・導入され、製造・製鉄・交通などの分野が発達したことで、生産力は加速的に向上した。機械の発達によってイギリスは世界最大の工業国家となり、歴史的な繁栄を迎えるのである。その一方で、貧富の差の拡大や都市部の人口集中による住居問題、労働問題など、しだいに多くの弊害が表面化していった。

工業の変化

産業革命による工業の機械化は、綿織物工業から始まる。インドからの綿製品の輸入禁止法をきっかけに、国内の綿織物工業が活発になり、綿製品を製造する機械が次々と発明された。また、機械の発明・導入により、経営方式がそれまでの工場制手工業(マニュファクチュア)から、工場制機械工業へと転換する。工場労働者が熟練の職人や肉体労働者から、機械を操作する女性や子供に変わったのである。より低賃金な労働者と機械の導入により、イギリスの産業はますます成長していく。

COLUMN 技術革新の流れ

技術革新の流れ

従来の約2倍の速さで綿布を織る「飛び杼(ひ)」をジョン=ケイが発明したことで、生産技術は急激に発展した。飛び杼によって綿を織る作業が高速化されると、続いて、綿布を織るために必要な綿糸を作る紡績機が改良され始める。ハーグリーヴズのジェニー紡績機やアークライトの水力紡績機などが、その一例であった。織機・紡績機の改良により、綿工業は飛躍的に生産性を高めていった。
工業の発展をさらに支えたのが、製鉄業と移動手段の発達である。鉄を加工するためには木炭が使われていたが、機械の普及が進み、大量の鉄が必要になったことで、木材の不足が深刻化しつつあった。それを解決したのがコークス製鉄法である。石炭を利用したコークスを製鉄に使うことで、高品質の鉄を大量に作れるようになり、機械が急激に普及する一助となった。
さらに、蒸気機関車・蒸気船が実用化されたことで、長距離移動・大量輸送が可能となり、イギリスの産業はさらに発達していったのである。

発明品

織機・紡績機

綿織物工業の技術革新は、飛び杼の発明から始まる。綿布に使う綿糸の需要が増えたことから、複数の綿糸を作る「ジェニー紡績機」、水力を利用した「水力紡績機」が発明された。さらに、綿糸を作る工程を全自動化した「ミュール紡績機」、蒸気機関を利用して綿布を織る「力織機」が発明されると、イギリス国内で飽和するほどの綿製品が生産されていった。

蒸気機関

蒸気の圧力を利用した原動機の一種。セイヴァリやニューコメンらが蒸気機関を発明したが、初期は鉱山の排水などにしか利用できず、用途は限られていた。だが、ワットの改良によって、蒸気機関は機械の原動力に使われるようになり、綿織物業や輸送業などを支えたのである。

蒸気機関車

1804年にトレヴィシックが蒸気機関を利用した機関車を発明し、1814年にスティーヴンソンが実用化に成功した。1825年「ロコモーション号」がストック・アンド・ダーリントン鉄道を走り始めて以降、各地に鉄道が敷かれ、大量輸送が行われるようになった。

蒸気船

1807年、フルトンが蒸気機関を用いた商業船を発明した。プロペラの利用や船の大型化が始まると、蒸気船は軍艦や外洋輸送などにも利用されるようになり、19世紀後半から海洋の主力となった。

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