Assassin's Creed 3 Lady Liberty アサシン クリードIII レディ リバティ
本作の主人公アヴリーンは、アサシン、レディ、奴隷という3つの身分を使い分けることが可能である。ここでは、フレンチ・インディアン戦争〜独立戦争期における、ルイジアナの奴隷制度を見ていこう。
ルイジアナでは、フランス人とそのほかの人種(スペイン人、アフリカ人、インディアン)を祖先に持つ者はクレオールと呼ばれ、両親の地位によっては自由身分として扱われた。クレオールは、白人同様の教育を受けることもできたのだ。父が貿易商、実母が奴隷で、レディとして育てられたアヴリーンは、クレオールの典型例といえる。すでに17世紀には異人種婚を禁止していたイギリス領アメリカと比べると、まだ制度的にも穏当なものであった。
1763年にフレンチ・インディアン戦争が終結し、ルイジアナがスペイン領になると、大規模プランテーションで働かせるために、数多くの黒人奴隷が輸入されるようになる。多くの黒人奴隷は、アフリカからカリブ海のフランス領植民地を経由してアメリカに連れてこられた。カリブ海地域でもっとも栄えていたのはハイチだ。ハイチでは全世界の砂糖の4割を生産しており、カリブ海地域の黒人奴隷の約半数がハイチにいた。ハイチでは、のちに革命(1791〜1804年)が起こり、黒人奴隷が自由を勝ち取ることになる。本作の時代におけるハイチは、まさに革命前夜といった状況だろう。
ハイチを経由した黒人奴隷は、言語(クレオール語)や文化(ブードゥー教)をルイジアナに持ち込んだ。アヴリーンは暗殺武器として吹き矢を用いるが、これもカリブ海地域で狩猟に用いられた道具である。
西ヨーロッパからは武器や綿織物を積み、それをアフリカ西岸で黒人奴隷と交換し、その黒人奴隷を新大陸でタバコや砂糖を交換し、西ヨーロッパに持ち帰る。この貿易は三角貿易とも呼ばれた。奴隷貿易がもっとも盛んだったのは18世紀で、1807年にはイギリスが他国に先駆けて奴隷貿易を禁止することになる。
世界で唯一ともいえる、黒人奴隷の反乱革命。ブードゥー教の高僧が黒人奴隷を扇動したとの説もある。フランスは1800年にルイジアナをスペインから取り戻すも、1804年にハイチを失ったことにより、大西洋貿易の利権を失い、ついにルイジアナも手放すことになる。
大元はアフリカ西岸で信仰されていた民間信仰。ハイチに連れて行かれた黒人奴隷のあいだで信仰されていたが、ハイチでは弾圧される。そこで、白人の目をごまかすためにキリスト教的な装い(聖人崇拝など)を施し、その影響下のもとに独自発展していく。
ブードゥー教は比較的早い時期からアメリカ大陸にもたらされ、民間で信仰された。1692年、マサチューセッツの町・セイレムでは、あまりにブードゥー教の占いが広まったことから、魔女裁判が行われている。過酷な生活やインディアンの襲撃に怯える若い娘たちが、将来を占ったのがはじまりとされるが、とりわけキリスト教の教義に厳格な清教徒(ピューリタン)にとっては、ブードゥー教は邪教に過ぎない。結果、密告が横行して民衆は疑心暗鬼にかられ、200人以上もの「魔女」が投獄され、19人の男女と1匹の犬が刑死された。